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京都・花園の「阿じろ」で縁高弁当

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臨済宗大本山の一つである妙心寺。

敷地の中へ実に40以上の塔頭を擁するという、まさに町規模となる超時空寺院であります。

そんな妙心寺の門前にある精進料理の御用達。

せっかく京都に来たんだから、一食ぐらいはお精進をいただきたいのよ。

ただ、数多飲食店がおわす京の地も、今やすっかり享楽に堕してしまったのか、湯豆腐なんかを除くと、精進料理の選択肢は決して多くないだよね。できるならば黄檗の普茶料理を食べに行きたいところですけど、他にも臨済宗の門前に、チラホラと文化が残っております。

大徳寺の「一久」とか天龍寺の「篩月」とかがガイドブックの常連。そして、こちらの「阿じろ」は意識的には両者の中間くらいのイメージでしょうかね。つまり、ちょうどよいお店なのです。

今回は一階の薄暗く寂びた個室テーブル席でいただきました。本店はそれほど大きな構えではありませんし、建物自体も比較的新しいもの。ただ設備等は昭和から更新されておらず、空調からは京のイケズのごとく厳しき冷風が吹き出しておりますよ。ヲバちゃんの行き届かない対応も実にそれっぽいわ。

元々、このお店は妙心寺で法要の精進料理を調製する料理方として始まったらしいのです。おそらく、今でも、レストランとしてよか、法要法事の仕出し需要の方が多いのかもな。ただ、こんな時期ではありますが、観光客も何組かは食事に訪れている様子でした。

お昼の縁高弁当をお願いしました。

内容は旬のものを取り入れた月替りで、お手軽にエッセンスを味わえますよ。

まずは、まろやか梅酒を食前酒に、滑らかなモッチリなごま豆腐から。

生湯葉の椀盛り。

一口すすって、ああ、来てよかったなぁと思いました。

精進料理なので、動物性のものは使わず、しいたけや昆布、豆なんかでダシを引くのでしょう。一方で、私ら現代人の舌は、日々贅沢な旨味に慣れてしまっているわけですよ。ことデブはジャンクなフードで汚染されているような状態です。

ものたんねぇなって思うでしょ?

いやいや、この澄んだ汁の味わいに何ら不足を感じないのがすごいとこ。きっと塩分も含めた熟練のバランス感なのでしょうね。身体にすっと入っていくような滋味煽るるおいしさです。

おひたし、天ぷら、炊合せ。

いかにも田舎の法事で出てきそうな心躍らぬ内容です。

しかし、これが良い。

違いは、それぞれが文句なくおいしいところです。これならば、一,二ヶ月くらいは鼻歌交じりの出家生活が送れちゃいそうな気分になりますよ。

手札が限られた中で形作られる、味わいや色合い、風味のバラエティ。天ぷらはクリスプ、根菜のほっこり、生麩のもっちり、湯葉のしこしこ、こんにゃくのクニッ。

単に身を慎むだけでなく、坊主は坊主なりに、食への楽しみを見出し、磨き上げた結果がここにあるのかなとも感じます。人のなせるわざでもあり、また業でもあるよな。

キュッと締めた冷やし蕎麦。

薬味の細かさ。

さらに白飯はいらねぇような気もしますが、店頭でお土産にもなっている梅ひじきを乗せて出てきました。漬物もおいしいので、ぺろり食べられちゃうわ。

白味噌仕立ての冬瓜のお椀も良きかな。これも京都で一回は味わいたいなと思うものですね。

最後に焦がしたおにぎりにお湯を注いだもので締める流れ。

これは味よか儀式的なもので、坊主が食べ終わった椀にお湯を注いでキレイにするアレを見立てたものらしいですよ。

ヲバちゃんに頼むとおにぎりもよそってくれますが、ガッチガチなので食べるには不向きかも。

水菓子でお終いです。

分量もちょうど良いですし、後に重たく残らないから、五観の偈を噛み締めつつも、ほどなく食べ歩きの魔道に復帰もできますぞ。

こちらのお店なら、精進も修行でなく、単純においしいお食事として堪能できまっせということは記しておきたいです。

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