近年、我々の身近な洋食であるスパゲティ・ナポリタンの価値が見直されております。
メディア等でも関連する記事を目にする機会が増えましたが、ナポリタンの発祥については、横浜の「ホテルニューグランド」であるという説が広く浸透しておりますよね。
結論からいうと、これはマユツバです。
ホテルの販促とインチキ団体のインチキ活動により、ズレた歴史が定着してしまったのが、地元民として恥ずかしく、分かる範囲のことをまとめておこうと考えました。
ナポリタンの歴史やその背景については、後ほど下記のサイトを読んでいただければ、だいたいの概要を知ることができます。
ナポリタン - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%82%BF%E3%83%B3 スパゲッティ・ナポリタンの起源(完全版) http://seiyouryouri.yokohama/alacart/napoli1.html
以上。終わり。
……というわけにもいかないので、ここではニューグランドとナポリタンの関係に絞って、少々追記しておきます。
ナポリタン発祥のストーリー
ナポリタンはいかにして生まれたのか?
「ホテルニューグランド」は下記のごとく語っております。
2代目総料理長 入江茂忠が、接収時代、茹でたスパゲッティに塩、胡椒、トマトケチャップを和えた物を米兵が食べているのを見て、アレンジ加えて生み出した一品
https://www.hotel-newgrand.co.jp/origin/#about-origin-neapolitan
入江氏は戦後日本の西洋料理史に大きな足跡を残したシェフ。我々が当初聞いていたのは、進駐軍が食べていた粗末なスパゲティを、彼がホテルの格に合うような形でアレンジしたというストーリーです。
イタリア人が呆然とするという、ナポリタンのルーツが、アメリカのズボラ飯にあったという点、いかにも違和感なく耳に入ってきたのです。
これは果たしてナポリタンなのか?
しかし「ホテルニューグランド」にて、元祖たるナポリタンを召し上がった方は「あれっ?」と首をひねるのではないでしょうか?
実のところ、ニューグランドのナポリタンにケチャップは使われておりません。ソースは生トマトとペーストをベースにしたもので、つまり、これはハムやマッシュルームを加えたトマトソーススパゲティなのです。
現在、ホテルのHPにはニューグランド式ナポリタンについて以下の由来が紹介されています。
終戦後、1945年8月30日に到着した連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥によって米軍による占領が開始され、ホテル・ニューグランドもGHQ将校の宿舎として接収されました。
サンフランシスコ講和条約後1952年に接収解除されるまでの間に、様々な進駐軍文化が横浜にもたらされました。そのうちの一つが料理です。
彼らの持ち込んだ軍用保存食の中にスパゲッティとケチャップがあり、米兵たちは、茹でたスパゲッティに塩、胡椒で味付けをし、トマトケチャップを和えた物を昼食・夜食によく食べてたそうです。
このケチャップスパゲッティは、食料事情が悪い中でも簡単に作れるということで、進駐軍文化に興味津々だった市民にも広まり、街の喫茶店で出されるようになり、日本中で流行しました。
一方、戦後を担った入江茂忠は、いかにも味気ないケチャップスパゲッティを皆喜んで食べていることが気になり、ホテルで出すスパゲッティとして相応しいものとするため、苦心の改良を重ねました。
当ホテルでは、初代総料理長S・ワイルより受け継いだ、多くのパスタ料理がございました。
ボンゴレ(アサリ)、カルソ(仔牛肉の細切りにマッシュルームをトマトソースに合わせた料理)、ボロネーズ(俗に言うミートソース)…。入江は、ケチャップスパゲッティに代わって、トマト風味を生かした当ホテルならではの風味豊かなソースを作り出し、スパゲッティと合わせてお客様へお出ししました。
ニンニクと玉葱の微塵切りを飴色になるまでよく炒め、トマトの粗切り、トマトホール・トマトペーストを加え、ロリエとたっぷりのオリーブオイルを入れて完成したソースをスパゲッティと合わせたこの料理は、「スパゲッティ ナポリタン」と名付けられました。
2017年 ホテルHP ホテルニューグランド発祥より
そもそも ”ナポリタン” とは何なのか?
これについては様々なご意見があると思いますが、我々がスパゲティ・ナポリタンとして思い浮かべる料理について、不可欠な要素は「主にケチャップで味付けされたスパゲティ」であることだと考えます。
この時点で、ケチャップを使用しないニューグランド式はナポリタンの定義からは外れます。つまり、彼の言うナポリタンと、我々の知るナポリタンの間には大きな齟齬あることを、まず覚えておいてください。
ちなみに、トマトソーススパゲティは、進駐軍式ケチャップスパゲッティの進化形ではありません。我々が想像するよりも早い段階で日本に渡来しており 当のニューグランドにおいても ”Spaghetti Napolitaine” や “スパゲチ ナポリテーイン” という名称で、戦前から提供されていた記録が残っています。
また、”ナポリタン” という名称や、ケチャップを味付けに使った調理についても、どうやら戦前に痕跡が見つかりそうなのです。
何をもって”発祥” とすべきかという点に明確な決まりはありません。ただ、ケチャップスパゲティ、トマトソーススパゲティ、あるいはナポリタンという名前、いずれについても戦後のニューグランドに創出の根拠たりえる要素は見つからないのです。
ニューグランド史にみるナポリタン
「ホテルニューグランド」は、いつのからナポリタンの発祥を謳うようになったのか?
私は白鳳会の会員ではありませんし、昔を語れるほど、ニューグランドで食事をしておりませんから、折々のメニューやチラシ等、ホテル所有の古い資料にあたらないと、はっきりは分かりません。
ただ、社史等を流し読んでみると、近年までは、ほとんど触れられていないことが分かります。
1977年「ホテルニューグランド50年史」 → 記載無し 1997年「ホテルニューグランド70年の歩み」→ 記載無し 2008年「ホテル・ニューグランド八十年史」 → 巻頭グラビアに小さな写真と「入江料理長が考案したスパゲティナポリタン」のキャプション 2017年「ホテルニューグランド開業90周年記念写真集」 → 濱田社長「彼(注:サリー・ワイル)の精神を受け継いだ歴代のシェフもスパゲッティナポリタン、プリンアラモードなどの名作を生み出しました」
公式サイトも1998年までは遡れましたが、ドリア、ナポリタン、プリンアラモードという発祥メニューについて、特に発信されるようになったのは2014年以降のようです。
元々「ホテルニューグランド」の食といえば、サリー・ワイルが伝えた創業以来の伝統料理や「オテル・ドゥ・クリヨン」仕込みのオーセンティックなフレンチ、諸々の有名人を酔わせたカクテルなどが看板でした。
昭和の一時期にカレーのブームがあったようですが、洋食メニューはあくまで傍系として、脚光を浴びる存在ではなかったようです。少なくとも、ニューグランド式ナポリタンが、その発祥以降、カフェの看板メニューになっていたような形跡は見つかりませんでした。
しかし、山下町界隈の観光地盤沈下に伴い、老舗ホテルの景気も下降していく中で、経営側は古くて敷居の高いものではなく、より親しみやすい名物料理を掘り起こそうと考えたのかもしれません。
すべてはここから始まった?
その契機となったのが、次の出版物です。
2005年「横浜流 すべてはここから始まった」という本が出版され、横浜ローカルでプチ話題になりました。
著者はホテルニューグランド4代目総料理長である高橋清一氏。ホテルの歴史や著名人との逸話、お料理や食材のうんちく、自らの料理人としての歩み等を綴った、東京新聞の連載(2003年~2004年)をまとめたものです。
そこには以下の内容が記されています。
ホテルニューグランドで生まれ、一斉を風靡した料理の代表がスパゲッティーナポリタンです。終戦とともに当ホテルを接収した進駐軍は、それまで日本人に馴染みのなかったトマトケチャップを持ち込んで、ゆでて塩胡椒で味付けをしたスパゲッティーに和えました。当時、トマトケチャップとスパゲッティーは軍用品だったのです。
入江茂忠は苦心の末、トマトケチャップではいかにも味気がないので、刻んだにんにくに玉葱や生トマト、トマトペーストを入れ、オリーブオイルをたっぷり使った風味豊かなトマトソースを作りました。
ハム、玉葱、ピーマン、マッシュルームを強火でよく炒め、スパゲッティーを加え、トマトソースに合わせ、すりおろしたパルメザンチーズとパセリのみじん切りをたくさんふりかけました。
中世の頃、イタリアのナポリでスパゲッティは、トマトから作られたソースをパスタにかけ、路上の屋台で売られた貧しい人々の料理でした。当ホテルではそれをヒントに「スパゲッティーナポリタン」と呼ぶことにしました。
当ホテルより誕生した「スパゲッティーナポリタン(ナポリ風)」は日本人の口に合ってまたたく間に広まります。しばらくすると、このケチャップ・スパゲティーは街の喫茶店でも出されるようになり、日本中で流行しました。
第三章 ホテルニューグランドで生まれた料理 このホテルで生まれたスパゲティナポリタン
困ったことに ”すべてはここから始まった” という副題のビッグマウスの通り、粗雑な記述が見つかる本なのです。筆者の想像で補ったであろう部分についても、当事者の立場で語られるので、読者は惑わされます。
苦心したトマトソーススパゲティが日本国内へ広まったはずなのに、実際はケチャップスパゲティの方が定着している矛盾だけでも、すでにおかしいですよね。
”貧しい人々の料理” をヒントに命名する一流ホテルのセンスもなんだかなと思いますし、個人的にはニューグランド式では使われてないはずのピーマンの記述にも引っかかるのです。おそらく、これらは後付です。
ちなみに、この本ではラムボールやボストンクリームパイについても、進駐軍がニューグランドに持ち込んだのが事始めと匂わす記述があり、横浜の地スイーツ界隈は目尻を釣り上げざるをえません。
地元には大正からの歴史を持つ菓子店もありますし、デザートを含むアメリカ料理についても、戦前からレシピ本が翻訳出版されていた歴史を考えると、すべてがアメリカ軍とともに上陸してきたとする認識は納得できません。
入江氏とナポリタン
そもそも、ナポリタンの発祥について、開発者の入江氏本人はなんと言っていたのでしょうか?
本人の生の言葉は見つけることは出来ませんでしたが、ホテルのサイトに掲げられた古い紹介文にこう記されておりました。
終戦とともに9万人の進駐軍が横浜をうめつくしました当ホテルもGHQ将校の宿舎として接収されました。 彼らの軍用保存食のなかにスパゲッティとケチャップがありました。 茹でたスパゲッティに塩、胡椒で味付けをし、トマトケチャップを和えた物を昼食や夜食にはよく食べられていたようです。
当ホテルで作られた料理は明日には街場で調理されるという
進駐軍文化というか市民は興味津々だったようです。しばらくするとこのケチャップスパゲッティ食料事情が悪い中でも簡単に作れるということで、 街の喫茶店で出されるようになり日本中で流行ったのです。戦後を担った入江茂忠総料理長は、 うちにはちゃんとしたスパゲッティ料理があるのになんでこんなケチャップスパゲッティを皆喜んで食べているのかと思い気にしていた。
当ホテルでは開業時より初代総料理長サリーワイルが
イタリアのスパゲッティ料理の内、ボンゴレ(アサリ)、
カルソ(仔牛肉の細切りにマッシュルームをトマトソースに合わせた料理)、
ボロネーズ(俗に言うミートソース)がしっかりとした料理として存在していたのです。
そこで、入江総料理長はホテルで出すスパゲッティとしてケチャップスパゲッティでは
いかにも味気ないので苦心の改良をしました。先ず、トマト風味を生かした当ホテルならではの、ソースを作りました。
2014年 ホテルHP ホテルニューグランド発祥より
ニンニクと玉葱の微塵切りを飴色になるまでよく炒め、トマトの粗切り、トマトホール
トマトペーストを加え、ロリエとたっぷりのオリーブオイルを入れ風味豊かなソースを作りました。
これも校正が入ったとは思えない迂闊な文章です。
入江による改良以前から、ケチャップスパゲティが市中で流行っている時系列なので、今日のナポリタンのルーツを探すならば、むしろ、ニューグランドではなく、そちらのルートになりますよね。
そもそも、終戦当時の街に喫茶店がどれほど営業していたのか? これも、ナポリタン=喫茶店という今日のイメージに引きずられたホラ話ではないかと思います。
ただ、入江本人の認識については、こちらの記載が実際に近いのかもしれません。
戦前、横浜で初代料理長サリー・ワイルの指導を受けた後に「東京ニューグランドホテル」の料理長も努めた入江ですから、そこでトマトソースをはじめ、様々なスパゲティの提供があったことを知っています。
ニューグランド式のナポリタンは、米軍の糧食をアレンジして生み出した自らのオリジナル料理ではなく、それら ”ちゃんとしたスパゲティ” の復刻をしたという認識だったのではないでしょうか?
要するに入江がナポリタンを生み出したという発祥説は、戦後の厨房しか知らない弟子がイキった経緯なのだと推察します。
これを責めるつもりはありません。厨房の中では小さな存在だったナポリタンへの認識について、雲の上の存在だった入江氏とすり合わせを行う機会がどれほどあったのか。高橋氏の修行は口伝どころか盗み見て覚える時代。メモをとるにも10年早いと怒鳴られたと書いてありますから、調理技術とは必ずしもリンクしない由来などの情報は十分に伝わらなかったのだと思います。
さらにいえば、ネットも無いこの時代、自社の厨房で一日中働き詰める料理人が、全国の食文化や流行について、広く把握できるわけもなく、戦後を担った自負とともに、愛や尊敬をこじらせてしまった結果なのでしょう。
怪しき広報
問題は、その後の企業としての発信です。
開港150周年を迎え、横浜全体が大いに盛り上がる中で「ホテルニューグランド」はナポリタン他のホテル発祥メニューでもって、グイグイとプロモーションを仕掛けてきました。
いくら料理長の言とはいえ、軽く読んだだけで?マークがいくつも飛び出してくるような説を旗印にすることに対し、異を唱える常識人はホテル内にいなかったのでしょうか? 不思議ですし、情けなくもあります。
この頃になると、私もリアルタイムで目にするようになりましたが、ホテル発の広報がだいぶ怪しくなっておりました。
実はカレーについても、レトルト発売のタイミングだったかで「元々はサリー・ワイル氏が英C&B社からカレー粉の使用依頼を受け、全国に先駆けメニュー化。その後ニューグランドから全国に料理人が散らばる過程において日本の国民食の地位を得たのだ」という発祥アナウンスをやらかし、明治からとっくに花開いていたカレー畑へ爆弾を投げ込んだことがあります。
さらに歴史を知る人物が書いたとは思えない、ナポリタンやプリンアラモードまでワイル氏が作ったかのような広報が出てきたり。舌が軽く回る一方で、2005年、2006年と立て続けに食中毒を出した際には、まともなお詫びも掲載しなかったんじゃなかったか?
その他、多くは思い出せませんが、このホテルの広報は事大に吹かす傾向があり、かつての格式高き「ホテルニューグランド」もだいぶ日が陰ってきた印象だったのです。
ナポリタンはニューグランド発祥なのか?
「スパゲティ・ナポリタンの発祥は当ホテルです」というアナウンスは嘘ではありません。
ただ「ここでいうナポリタンは、ニューグランド式のトマトスパゲティのことです」という注釈を語らないことで、彼らはあえて世間をミスリードしています。
はたして、これが誠実な姿勢といえるのか?
ナポリタンの元祖を楽しみにやってくるお客さんに対し、良心は痛まないのか?
元々は事実誤認から安易に始めてしまった発祥キャンペーンなのかもしれません。しかし、公式サイトの文章を読む限り、その後は、ホテル側も自分たちのナポリタンは市井のケチャップ式と別物である旨、世間との認識のズレを承知していることが分かります。
今更、引っ込みがつかないのでしょうし、今や全国に轟く ”ナポリタンの発祥店” というネームバリューは、フルーツトマトよりも甘く、ようよう手放せないのかもしれません。
発祥説が広まった当時はこのような些末を検証する動きはありませんでした。雑な広報も、雑なメディアのフィルターを通すと「ナポリタンは戦後のホテルニューグランドで生まれた」という部分しか残りませんし、いいかげんな市民団体が、ホテルの代わりに都合よくホラを吹きまくってくれました。
結果、若い世代の知名度も上がり、営業面でも大きく貢献したであろう販促になりました。
本当にそれで良かったのか?
とりあえず、イケイケで押し出した反動として、後にメッキが剥がれた時のダメージは甘受しなければなりませんよね。
源流としての誇りを思い出せ
本来「ホテルニューグランド」が喧伝すべきだったのは、ナポリタンの元祖ではなく、その源流の一つであったという事実です。
ニューグランドで供される ”ナポリタン” という名のナポリタンではないスパゲティには、戦後よりさらに遡れる長き歴史が息づいているからで、むしろ、そちらの価値を正しく評価しなければなりませんでした。
しかし、担当の無知ゆえか、事実を歪め、分かりやすきに諂うことを選んでしまった時点で、ナポリタンという料理だけでなく、ニューグランドホテルの偉大な歩みすら陳腐化させることになりました。
この流れでもって、歴史が安易に上書きされる前に、今一度、自らの輝ける厨房史を検証して、本来の業績や遺産を掘り起こすべきだと思います。
たとえば、ソール・ナンチュアのようなお料理こそ、アピールすべき伝統なのではないのでしょうか?
そもそもナポリタンで¥2,178もとるんだから、安っぽいことをしてくれるなと言いたいのよ。
本来のニューグランドは港横浜において、無二の歴史遺産メニューが食べられる伝統ホテルです。うまくリスタートできれば、勢いある新興外資に混じっても、一定の存在感を示せるはずです。
地元民の誇りでもあるのだから、しっかりしてくれよな、ニューグランド!
コメント一覧
多分「ナポリタンの起源はニューグランド」って事に最初にお節介な疑問符を付けて『古川ロッパ日記』に遡ったのは私なんで、当時思った事をコメントしますです根拠は薄いですが。
当初、米軍レーションにある「spaghetti italian style」を元同盟国だったからナポリと言い換えたのかな?と思ったり。デザートを不味いと言われる北欧の食器にてんこ盛りにして、禁断の果実を性的に奔放なイメージの兎の形にして添えたのかな?アメリカ人がコンプレックスを持つフランス語の名前を付けたのかな?ってちょいと前まで大量の爆弾落としてた相手に出す洒落の利いた料理なのかな?と、想像を膨らましていました。
私にとってナポリタンは、それを扱う団体や作家やマスコミの情報に対する試金石の一つになっています。
歴史を学ぶ意義は「今自分自身が何をしているのかの再確認」と習いました。
一皿の上にも様々な背景を感じながら外食を楽しみたいのですが、提供者側が老舗の看板に胡坐をかいてオカシナ情報を垂れ流すのは一消費者として馬鹿にされている感を覚えずにはいられないのです。どうしてそうなったのか?ご近所の中華街の手法を真似たのか?
>はってばってさん
扱うすべての情報に批判的であれというのは、なかなか厳しいことです。
だから、老舗ホテルの話を丸呑みしたメディア等も責められないなと思うのよ。
ただ、怪しいなと気づきながら握りつぶすようになったら、これは罪だよね。
近年では、市井での研究も進んで、声高に発祥をうたうお店はだいたいインチキと指摘されるようにもなりました。
昔は今ほど世間を俯瞰できませんでしたから、己が知る限りの範囲内で、一番初めと言い切ってしまう例も珍しくはなかったのでしょう。
商売のため、無理押した部分もあるのかもしれませんが、たとえ発祥でなくとも、それなりの年月を生き残ってきたお店であることは否定できません。
元祖と言わずとも、古くから看板メニューのたい焼きが愛されてきた価値で十分だと思うのね。
お店の方も、徐々にでいいから。トーンを変えていってほしいよな。
はまれぽが手を付けれない老舗をうたうブタまん屋の歩き食い元祖説もいじってくだされ。
>匿名さん
「江戸清」「ありあけ」あたりが、じわじわと印象操作してる点は、いずれまとめておかねばならぬかなとは思っています。
江戸清の ”元祖” は、肉包の元祖でも、蒸し売りの元祖でも無く、横浜中華街の他店が「肉まん」としているものを、関西風の「ブタまん」呼称で売出したという、ただそれだけのことだからね。
食肉業界で老舗なだけなんだよね。
この頃は20年でも老舗って言っちゃう人いるから面倒だけど。
>うんぱるんさん
実際に商売を成功させた実績があるのだから、虚飾は不要ですよ。
こんにちは!近代食文化研究会です。
こちらのコメントに“「ナポリタン発祥説」を日本で初めて書きました”という人があらわれました。
ハードカバーの出版が2004年ですので、『横浜流』よりも一年早く、たしかにニューグランド発祥説元祖かもしれません。
>近代食文化研究会さん
「横浜流」は東京新聞第2神奈川版の連載をまとめた本なので、該当部分の記事が世に出たのはもっと早いはずです。
取材を通して、ナポリタンの話題が想起された可能性はあると思いますが、いずれにしても高橋総料理長発の情報でしょうから、上野氏独自の考察や功績といえるのか。
そもそも、発祥説がその後どう展開しているのかをアップデートせず、自分が一番最初なんだと恨み言を連ねるのもなぁ。
未読ですが「ナポリタン!」はブームに先行して出版され、当時稀有の参考書籍として、名前が挙がることはありました。
一方、プロモーションにいっちょかみさせなかった、ニューグランドや横浜界隈の塩対応はらしいなと思います。ホテル伝統の味や市民活動のストーリーにはハマらなかったのでしょう。
>いずれにしても高橋総料理長発の情報でしょうから、上野氏独自の考察や功績といえるのか。
なるほど、勉強になります!
>近代食文化研究会さん
あくまで推測です。ただ、発端をはっきりさせる意味もないのかなと思います。
初版で未収だった「ナポリタン」が第二版で「日本国語大辞典」に出典と共に載ったのが2001年。その出典の翻字本「古川ロッパ昭和日記 戦前編」は1987年発行なので、U氏は御著書の執筆の際当然見ているはずだし、まさか文章を売っている人が調べ物の第一歩の辞書を引く事を怠ったとは考えづらい。
過而不改是謂過矣
>はってばってさん
辞書に載ったロッパのはトマトソース時代のナポリタンでしょ。
ニューグランドのものと同じく、今日のケチャップナポリタンのルーツではあるけれど、同じ料理として扱うべきじゃなかったんだよね。
訂正「翻字」本→「翻刻」本
デイリーポータルZに1937年の「婦人之友」に載ったナポリタンが出ていますね。
>はってばってさん
隣に載ってるケチャップ炒めうどんも気になりますね。
「ケチャップ炒めうどん」は1938年のレシピで、ナポリタンですな。次のメニューは「うどんのナポリテーヌ」(1951年)その次が「うどんのトマト煮」(1932年)次が「干しうどんのトマト煮」(1937年)と続きP35〜「うどんナポリタンの時代」と言うコラムが載っています。「トマト系の赤い麺はナポリタン」と言う認識が戦前の日本人に有った事が伺えます。
>はってばってさん
おお、本の方も読まれたのですね。
センターグリルのケチャップ代用についても、戦前の市中で行われていたってことなのか。
出版されて日も浅い本だから色々な権利に引っかかると嫌だし、私の見解とも多少の相違が有るからなるべくコノ本に書かれている原本に忠実であろう点を有り難く有り難く引用すると、材料か簡単な調理法なら内容の雰囲気が汲み取れるかな?
●スパゲテナポリタン
豚肉 トマト ニンニク ラード ケチャップ サラダ油 ローレル 塩 胡椒
●炒めうどん
茹でたうどんを油で炒め、塩・ケチャップ・ウスターソース干し貝柱を加える。
●うどんのナポリテーヌ
玉ねぎ、トマト、バター、ハム、おろしチーズ、塩
、コショウ、パセリ
●干しうどんのトマト煮
イラストが転載されていて、それには「干うどん、牛肉、玉葱を炒めて、トマトソースで色をつける」の注釈がガスコンロの上でフライパンを使った調理法で書かれている。
>はってばってさん
同じ料理かと思ったら、だいぶテイストが異なるのが面白い!
やはりナポリテーヌはフレンチ本流風だし、ナポリタンはソースなのかな? 豚肉とダブル油はどこから来たものか。
炒めは干し貝柱で中華風? トマト煮は牛と玉葱だし、面白いバリエーション。
「スパゲテナポリタン」はソースに和える系で、ソレ以外は茹で麺(茹で乾麺)炒める系です。
以前同じ様な戦前の料理書でトマト味のマカロニを書き込んだ記憶が有るのだけれど「ナポリタン」とは書かれていなかった。
なので、当時の人の認識では赤い「麺類」こそが「ナポリタン」だったと思われます。
>はってばってさん
うどんで代用すると炒めになるのは、焼きうどん的なものがそれなりに定着してたってことなのかな。
焼きうどんよりもソース焼きそばに枝分かれしていた様です。
戦前の中国語辞書を引くと「炒青菜」の訳に「青菜を油いり」と載っていたりします。「イタメモノ」に注釈が必要だった時代も有ったのです。
>はってばってさん
おおもとに中華料理の焼きそばがあって、鉄板屋台のソース焼そばなんかが派生する中で、ご家庭や物資難での代用中華麺として、焼きうどんが出てくる流れなのかな。
中華系の麺は一度「汁麺」の回り道をしてから「炒め麺」の受容をしたみたいなので、ナポリタン(皿盛り洋風麺)はあまり中華系の影響は無いと思われます。ソース味・トマト味系の丼から箸ですする汁麺が今でも一般的ではないし、焼きそばパン・ナポリタンパンは容易に見つかりますが、焼きうどんパンがそうではない点からも、ソース焼きそば(洋食)、焼きうどん(和食)はそれぞれ別の道を歩んできたのでしょう。
>はってばってさん
スパゲティの代用にうどん乾麺を使うのは理解できるのです。
その際、茹であげのうどんに簡易なソースをあえる、かけるという形ではなく、いずれも一緒に炒めるという調理になるのが面白いと思ったのよ。
もともと、うどんや日本蕎麦は焼く、炒めるという食べ方はたぶんなくて、明治に中華料理が入ってきて以降の食べ方だと思うのです。
戦前の屋台においては、代用中華、代用洋食のような形で、簡易な見立て料理が供され、お好み焼きや手近な調味料を使ったソースやきそばもそんな中から生まれたようです。
トマトソースがたくさんつくれなかったから、手近な調味料と共に焼き付ける形になったのかもしれませんが、ご家庭では和洋中のちゃんぽん料理が色々つくられていたのかもしれませんね。
先だって、小倉で元祖焼きうどんをいただきましたが、これは戦後の鉄板焼屋から生まれたもので、うどん入り広島焼き同様に、中華麺が手に入りにくい時代に手近なものでかさ増ししたのが事始めだそうです。
戦前の洋風炒めうどんが今に残らなかったのは、やはり本家のパスタや蒸し麺の方が旨いからなのかも。