若葉町の裏通りにある中華店。
毎度、遅くまで営業してるし、その筋にはおなじみのお店だけど、
私は今回、初めて入るんだわ。
中はコテコテの大衆中華店の光景。
どの箇所も全体的に油っぽいんだよな!
この日は夕方のハンパ時間だったんだけど、
すでにそこそこのお客で賑わっていて、
オッサンやらガテンやらがワッシワシ飯を食ってたわ。
厨房では太ったとっつぁんが鍋を振るう!
いかにもな中華屋オーラを醸していて、こりゃ期待できそうだわ。
メニューは定番麺飯と簡単な中華定食類。
値段はちゃんと下町水準に抑えられているよ。
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ここは定番のチャーメンで相手を探るしか無いだろう。
この呪われた料理は大衆中華の華である
油と化調使いがポイントだからな!
そして、まぁ、なんというか
期待した通りのものが出てくるわけだ!
このグダっとした感じがいいんだよな。
暖簾に餃子自慢とあるからには頼まなきゃ!
緩めに包まれた餃子は野菜を主成分にしており、
レメディか!ってほど肉の分子が感じられないんだけど、
噛むとジュッと汁が出てきて、これがやけに旨い。
我々の愛する餃子って食い物は、
キャベツとニンニクとケミカルだけで十分なんだってことを知った三十路半ばの秋・・・
ちなみにどこがどう元祖なのかは最後までよくわからんかったぞ!
コメント一覧
推定ですが「元祖」の意味は「十八番」なる中華料理屋がもう一件あったからではないかな.
昭和の頃、今のコジマ電気(閉店)のビルは、「十八番」なるプレハブ然の大衆中華料理屋がありました.食券を買ってオーダーするシステムです.24時間営業で
餃子にカラシを付けて食べる客が殆どです.かくいう私もそうでした.
トン汁が名物でした.このお店が立ち退き閉店後に「中華一番」が24時間営業に
なったような記憶があります.
ちなみに「元祖 十八番」は今の店舗に移って25年くらいだったような.
それ以前は、この通りの黄金町方面の「小笹病院」の近所で営業していました.
今の人はたぶん2代目か3代目かな.
>さのやなぎさん
へぇ~!なるほどなるほど。
今も新しくマンションやらが建ちまくってますが、
私なぞは覚えが悪いのか、少し経ってしまうと、
元々何があった場所なのか全然思い出せなかったりするので恐ろしいです。
餃子にカラシってのは当時の定番なんですか?ローカルルール?
ええ、そうです。
昭和30年代半ばには親に連れられ、たまに食べに行ってました、大衆食堂の十八番に。
曙町1丁目か2丁目の角にあったはず。
中華そばだと腹を下すと心配する親はぶた汁ならと自分のために注文してくれてました。ラーメンどんぶりに並々よそわれた「ぶた汁」。風邪気味のときは特にこれが体にいいと信じ込まされてましたよ、幼稚園行く前から。ほかの大人もみんなぶた汁を頼むんです。
いつの間にか、このそばのボストングリルと共に姿を消してしまいました。
>曙町育ちさん
中華寄りの大衆食堂だったのですか?
豚汁ってのが、いかにも昭和な取り合わせだなと。
そんな人気メニュー、一度食べてみたかったなぁ。
幻の十八番を検索していたら、皆様の書き込みに遭遇しました。コジマ電気の場所にあった十八番は、本当にボロで、個性的なお店でしたね。最近、若葉町の元祖・十八番でタンメンを食べたのですが、普通においしく、あの、今は無き十八番のそれとは違うなあと思っていました。やはり、別の店だったんですね。
>saltさん
お、幻を知るお方がもう一人。
50-60年前 市電で山元町の親戚に行く折に有隣堂で遊んでから長者町5丁目の交差点を超えて連れていかれた。麺類が多かったと思うが私はいつも揚げ焼きそばと餃子を頼んでいた。麺を揚げたてのパリパリの太い焼きそばが凄くおいしく楽しみであった。なくなったのは残念。
>SBHさん
そんなに古いお店だったのですか!
メニューやお料理に特別古式を感じさせないとこが、逆に生き残ってきた理由なのかな?