万博の流れで、神戸旅日記をやっつけときましょう。

我が家には高校野球狂がおりまして、朝から晩まで試合を観続けても飽きないんだってさ。
そんなことされたら、夏は流石にお陀仏じゃんか!!
しょうがねぇから、比較的過ごしやすい春のセンバツに何日か連れて行って、ガス抜きをしているのです。




一方、私はスポーツ観戦全般が苦手なので、早々にお暇をいただき、街歩きで時間を潰すという流れなのよ。






今回は主に新開地のあたりをプラプラしておりました。
戦前には映画館や劇場がずらり建ちならび ”東の浅草、西の新開地” と謳われたほどの大繁華街。
現在は、だいぶしょぼくれた夜のお店やパチンコ屋くらいしか残っていないのですが、造船景気が支えた旧盛り場の雰囲気は、うちらんとこの野毛や伊勢佐木町あたりとも似ている気がして、下賤な肌に馴染むのよね。








六甲から急な傾斜で下ってくるご当地の河川は、下流に多くの土砂を流して、扇状地を形成します。
現在は一部暗渠になっている湊川も、かつては流域の民が反乱に怯える天井川だったようですね。
ちなみに、緩やかな登り道になっている新開地の商店街は、周囲の土地よりも嵩が高くなっているのだけど、神戸の台所たる神戸新鮮市場から湊川公園、新開地商店街、新開地本通りと下ってくるこのラインって、旧湊川のあった場所だったんだな。




新開地のあたりもそうだけど、本来ならば、もっと早くに自然消滅していたであろう昭和の遺物が、阪神大震災復興の名の元、半ば強制的に煮固められてしまったのが、神戸の猥雑な面白さになっていると思うのね。

ただ、震災後30年が経って、そういう事業や施設は徐々に寿命を迎えつつあり、この先の神戸をいかに描いていくべきかが問われている段階です。
未だ続く政治の騒乱も、そんな過渡期故なのかもしれませんね。

さて、甲子園の休養日に摩耶山にやってきました。
開業100周年になる摩耶ケーブルは天上寺参拝のために敷かれたのですが、その後、寺が放火で全焼してしまったり、阪神大震災で被災したり、厳しき道を歩んでいるようですね。
中腹にあった「摩耶観光ホテル」なんて、今や ”廃墟の女王” だし。

ケーブル駅へのアクセスがビミョーで、うちらも足を伸ばしづらいのよ。
バスで向かうにも、マヂでこんな狭道を通るのかってくらいの、およそ観光駅とは思えぬ住宅街のど真ん中にあるんだけど、なるほど、開業の頃は周囲に何もなかったんだな。

超絶な急勾配をえっちら登って、さらにロープウェーに乗り換え、掬星台展望所へ。

この日は生憎ガスっちゃってたのだけど、この景色なのよ!
急峻につき上がる六甲山系らしい壮大なビューポイントです。
天気の良い日に、星を掬うが如き夜景を観に来てもいいよなぁ。

もう一つの目的は「六甲山牧場」
現在は観光牧場になっているのだけど、元々は酪農振興のために設置された神戸市立の牧場です。
しかし、三ノ宮から車で30分ほどの場所に全く違う環境があるんだから面白いよね。海と都市と山がぎゅぎゅぎゅっと凝縮された神戸なんだよな。

広い斜面に羊が放し飼いになっており、すぐ近くまで寄って、撮影なり、ふれあいなりが可能なの。
観光チャイナたちは、もう大喜びですよ。
牧場をつなぐ吊橋を渡っていたら、突如、向こうから羊の群が!
何がおこっているのかと驚いていたら、この後すぐに雨が降ってきてさ。
羊ちゃん達は、天候の変化を敏感に察知して、放牧地から厩舎まで自分で帰っていくとこだったみたいなのです。
ずぶ塗れた私らよか、おりこうじゃんか!

羊。

牛。

ヤギ。
それぞれ餌も売ってたりするので、楽しいよ。

そして、あっという間に霧雨に包まれてしまう高原なのです。
帰りは有馬へ降りて、ひとっ風呂浴びるつもりだったのだけど、ロープウェーが運休となり、そのまま来た道を帰ってきました。






明治期の実業家小寺家の邸宅だった相楽園。

南京町は相変わらずのロクでもなさ。

ベイサイドの夜景はとっても綺麗でした。




食べ歩きはあんまり出来なくて、いつもよか軽めの36軒分。
最近、せわしないので、1ゆるゆる仕上げたいなと思っております。
お楽しみに~
コメント一覧
南京町は昔は横浜中華街より庶民的な印象ありましたが、最近はどんな感じですか。
横浜以上にまっとうな老舗が消えて下衆な店ばかりになっていますか。
>のあきちさん
もはやレストラン街ではなく、屋台通りになっちゃったのよ。
そこで扱う食べ物も、ほとんど同じメーカーが作ってそうで、高速道路のSA食みたいだし。
横浜はああなってほしくないな。