北九州のご当地食を摘む今回の旅。
メインの小倉以外には、せいぜい門司港に寄れるくらいだろうなと考えていたのです。
でも、対岸がすんげー近くてさ!
小倉駅にたまたま来た電車に乗ってみたら、15分弱で下関駅に到着しちゃったのですよ。
九州から中国への行程が、我が家から横浜駅に出るような感覚なんじゃん!
ただ、何の下調べもしてないし、そもそも、萩焼とフグと宇部新川駅以外の山口県について、何も知らねぇ私。
県庁所在地って下関じゃなかったんか? ってレベルで、お恥ずかしいかぎりなのですが、とりあえず、ぶらっと見てまわることにしました。
下関駅には大丸やくたびれたショッピングモールがくっついて、それなりの体裁は保っておりましたが、一歩外に出てしまうと、小倉のような活気は感じないんだな。
ゲスな式場と、山口銀行の本店が浮きまくって、なんとも寒々しい駅前の雰囲気です。
そうか、維新の史跡が多く残る土地なんだね。
奇兵隊結成の地、金子みすずが短き人生をおくった場所、そして、ジョージ山本の故郷でもあるようです。
駅前からは「豊前田商店街」という、下関最大の歓楽街が続いているのですが、夕方だったこともあり、営業しているお店はほとんどありませんね。
対岸の門司港と色がかぶりつつ、平家や長州の歴史要素はより濃厚な下関なのですが、名所はそれぞれ小粒だし、歩いて巡るには地味に距離もあるので、散策はめんどくさいかも。
高杉晋作の像が建つという公園も、はるばる坂の上らしく、青空に輝く一朶の白い雲だけを見つめ、一途に坂をのぼっていく明治の気概を持ち合わせない私は、入口でソッコー諦めましたよ。
ぶっちゃけ、メインの唐戸エリアまでは、バス移動でスキップするのが推奨です。
下関は、海岸からすぐに丘陵が立ち上がる地形で、平地に乏しい街みたいね。
市街地はなかなか発展しづらい環境ですが、かつて周防一の港であった唐戸周辺には、市役所も置かれ、領事館、商社、金融機関などの史跡が残っておりました。
いわゆる旧市街のエリアなんだけどな。
かつて栄えたであろう商店街は、目下こんな有り様なので、枯れ好きにもやや難易度が高い街歩きだと思います。
杉村太蔵の屋台村を誘致して、回遊性を上げる策は的外れのような気もしますけど、商店街の空きテナントに居住者が残っていて新規出店はしづらいってことなのかな?
代わりに、唐戸港へ現役の観光要素を、ほぼすべて集めた形か。
「カモンワーフ」というお土産飲食施設で、ベタな需要はたいてい事足りそうです。
特に唐戸市場は、週末になるとふくや海鮮目当てのお客さんが唸るほど訪れるんだって。
定休日だったんだけどね! きまぐれで歩いてきたから! なんも調べてないから!
ちなみに唐戸港へは対岸の門司港からのアクセスも便利です。
連絡船が繁く行き交っており、豪快にぶっ飛ばしますから、関門海峡を渡るのもあっという間よ。
往復、この船に乗るだけでも、楽しいアクティビティになります!
門司港の黒川タワマンに対抗したのか、いや、こっちの方が早いのか。
「海峡ゆめタワー」という、社長の演歌通販みたいな名前をつけた展望タワーがそびえておりました。
どうせなら、ここも登っておけばよかったなぁ。
2日目のお目当ては「市立しものせき水族館 海響館」
とりあえず覗いておくかくらいの淡い期待だったのですが、これがメッチャ良かったのよ!
関門海峡を借景するイルカ&アシカショー。
大水槽にはキレイというよか、おいしそうな魚が沢山泳いでおり、見ごたえはバッチリじゃん。
幻想的なクラゲコーナーも良い感じ。
下関らしく、ありとあらゆるフグを集めて展示しているのが特徴です。
大きいものから小さなものまで、プクプクと泳ぐ姿がすげーカワイイからね!
もう一つの売りがペンギンよ。
臭ぇし、普段はさして動かねぇ奴らですが、一旦水に飛び込むと、大水槽の中を、魚雷のごとき高速度で泳ぎまくるんだね! これは必見です! 大迫力の展示!
この「海響館」を目当てにする下関旅行も十分に成り立ちますよ。
日本一のフグの像も立つ亀山八幡宮は、理髪店たる”床屋”という名前が生まれた地でもあるようです。
伊藤博文が愛し、国内ふぐ料理公許第一号を持つ「下関春帆楼 」には、「日清講和記念館」が併設され、下関条約締結時に会議の行われたテーブル等が保存されておりました。
「赤間神宮」は合戦の際、壇ノ浦に入水した安徳天皇を祀った神社です。
元々はお寺だったのが、明治の神仏分離で神社にクラスチェンジした姿なのですが、こここそが皆さんご存知「耳なし芳一」の舞台だったのか。
芳一の命が危ない中、お経を書き漏らしたまま、近所の法事にでかけてしまう、上司のリスクマネジメントが問われるお話!
3日目も、また船に乗っております。
関門橋がカッコイイ!
そして、たどりついたのは、巌流島こと船島です。
分かってた。何もないのは、分かってた。
それにしても、何もないんだな!
対岸には三菱重工の造船所が稼働しております。
巌流島もかつては日本軍の下関要塞の一部として使われたようで、三菱が埋め立てて、従来の6倍の広さになっておりました。
現在はその大半が公園、というか野っ原で、決闘の小島の風情は薄い場所です。
なんだか、この銅像を撮影するだけのために来たようなものですが、男子ロマン的には、スルーできなかった巌流島ですよ。
武蔵でなく、負けた小次郎の名前がついているのも面白く、やはり、我々は判官贔屓の気質なのかもね。まぁ二天島よか、巌流島の方がカッコイイか。
そういえば、アントニオ猪木VSマサ斎藤の対戦もTVで観た記憶があるけど、なんで長州力じゃなかったのか?
コメント一覧
巌流島でのプロレスは藤波が考えた企画で藤波vs長州の決戦だったんですが、当時色々あってお金が必要だった猪木が横から召し上げたので猪木vsマサ斎藤になったと伝えられております。
*栄町銀天街とか出て来てこのシリーズ楽しんでませて頂いておりす
>元門司人現ニセハマっ子さん
そうだったのか、アントンハイセルのせいで・・・
中身はあんなですが、長州力ってカッコい名前ですよね。
巌流島のプロレスと言うとアントニオ猪木vsマサ斎藤が有名だけど、1991年に馳浩vsタイガー・ジェット・シンというマッチメイクもあったんですよ(翌年の1.4東京ドームでのアントニオ猪木との対戦がかかってました)
>習志野ゴンザレスさん
こっちも藤波とシンだったら、龍虎の戦いになったんじゃん。
とりあえず、プロレスイベントをやるにも十分な広さのある島なんだなってのは確認してきました。
もっと小島のイメージだったんだけどね。