太ったオジサンの孤独旅シリーズ、今回の舞台は北九州です!
北九州といえば、口も荒いが気も荒い系の無法者どもが、ドスをはげしく右左、ロケットランチャーみだれ打ちみたいな怖いイメージがある土地じゃんか!
いったい何をしに行ったんだと不思議に思われるでしょうね。
実は旅の前に必ずチェックしている神ブログ「全国イイ味ハマル味」がありまして。
以前、博多の計画を練っている際にも熟読していたのですが、福岡県内では小倉周辺のBグル濃度がやけに高ぇじゃねーかという印象が突き刺さっていたのです。
ちょうど横須賀新港から新門司港へのフェリーも就航したことだし、いつか憧れの船旅で訪れようかと目論んでいたんだわ。
でもさぁ、よくよく考えてみると夜中に出港して、翌日夜に到着するスケジュールはえれぇしんどそうだし、むしろ飛行機の方が安上がりなので、男のロマンは玄界灘にきっぱり捨て去りましたよ。
九州の玄関口である北九州市は、福岡に次ぐ、九州第2位の都市。
製造業の一大拠点として、また国際貿易港として、日本の高度経済成長期を支えてきました。
つかさ、門司市、小倉市 、若松市、八幡市、戸畑市が合併して、九州初の政令指定都市となった1963年当時は、福岡以上に栄えていた自治体だったんだな。
我々世代には北九州工業地帯の荒くれなイメージよね。
それがさ、昨今では ”四大工業地帯” って習わないらしいんだよ。
産業構造の転換もあり、北九州はすでに大工業地帯からは脱落してしまったようなのです。
旧八幡製鉄所など、筑豊からの石炭を燃やして中心産業となった鉄鋼は、石油へのエネルギー転換や原料の輸入元が中国から豪州等に変化する中で、必ずしも立地のメリットを活かせなくなったし、需要自体も落ち込んでいることから、出荷額は減少しているらしいのよ。
個人的にはさ、どこぞのソフトバンクがぽしゃっても何の感傷もありませんけど、八幡の高炉が停止したりするニュースを聞くと、なんだか切ないんだよな。
日本を支えるのは重工業、大工場であって欲しいという勝手な気持ち。
小倉駅は北九州空港からリムジンバスで1時間弱。
車内混み合いますが、細かく停車しない直行便の乗車が推奨です。
そびえ立つ「小倉ターミナルビル」ってば、開業25周年とは思えない近代的な佇まいじゃんか!
ビルの中から北九州モノレールが発車していく、このSFな感じが、すげーカッコイイ!!
なんだか既視感あるなって思ったら、銀河鉄道メガロポリス中央駅!
松本零士御大の生誕の地だったんだね!
近年では漫画の街としてのプロモーションも盛んに行われているようで、新しい街づくりの中で、ソフトパワーへの転換も模索しているのでしょう。
駅の北口には「北九州市漫画ミュージアム」を併設した「あるあるCity」という商業施設が直結。
これが地域のヲタク需要に一通り対応できる小型ラジオ会館的な内容になっており、ご当地出身声優、アミューズの狂犬こと前田佳織里さんらがアンバサダーになっておりました。
気張らずに暮らしやすそうな街じゃん。
街中は地方都市特有の荒廃が漂わず、モノレール沿線を中心に、ビルやマンション等への建て替えが順当に進んでいる様子。
一方、俯瞰した街並みは、なんだか統一感に欠けるというか、色合いや設計に個性を出したがる気質があるみたい。着ぐるみパジャマ時代の前田佳織里さんを思い出します。
小倉駅前からは「魚町銀天街」などのアーケード商店街が縦横に走っており、古いっちゃ古いんですけが、今なお現役な活況を呈しており、気さくな飲食店なども多数営業中でした。
小倉市民の台所といわれる「旦過市場」を、一度覗いてみたかったんだ!
元々、大正時代に魚の荷揚げ場として始まったらしいのだけど、戦後に建てられた木造長屋店舗が超密集した雰囲気のある商店街なのよね。
これが本当に素晴らしい商店街でさ。
観光やインバウンドへの対応も無いわけではないんだけど、まだまだ深く毒されてはおらず、地元の方々が日常的に利用できる上質なお店がならんでおりましたよ。
魚も野菜も良いものが安く売ってて、ここに毎日買いに来れる小倉民が心底羨ましいな!
残念ながら、2022年に起こった2度の火災によって、かなりの部分が焼失してしまいました。
度々被災し、現在営業している建物も老朽化が激しいことから、今後は新たに市場ビルを建てて、その中に各店舗を収容する形での再開発計画が進行しているようです。
繋ぎのための仮設店舗もすでに用意されておりましたね。
裏側なり内側なりのボロさを見てみると、まぁよくぞ今日まで営業してきたなというのが正直な感想ですよ。
今のうちに拝んでおけて、よかったわ。
豊洲と同じく、清潔な環境に移ることで商品のレベルはさらに上がるのかもしれません。しかし、現在の賑やかで魅力的な市場の雰囲気は間違いなく失われてしまうだろうから、その点は惜しいよな。
南方に、黄金市場というより庶民的な商店街もあったのですが、その区画もまるっと取り壊しになる様子。小倉の商店街にも転換期が訪れています。
一応、お城もあるのですよ。
細川忠興が唐造りの天守を築き、関西随一の城郭に仕上げたという、小倉城。
江戸時代は豊前小倉藩小笠原家の居城となり、幕末までの長い歴史を紡ぎました。
現在の天守はコンクリ建築されたものなのですが、怒られ覚悟で申し上げると、なんともダサイ!!
元々1837年の火事により焼失した天守はそのまま再建されなかったらしいんだよね。
戦後の復元にあたり、当時の絵巻等を頼りに設計したところ、もっと見栄えを良くしろという地元の圧力により、余計な屋根や破風を足されて、こんな形になってしまったようなのです。
ライトアップで、ギリ見られる感じか。
小田原城も酷いけど、戦後のコンクリ城も老朽化していく中で、次代の補修や再建をどうするかが問われていくのかな。これも工業の街らしさなのかな。
ちなみに美人のチケット嬢が「・・ござりまする」口調で受付するのが地味にイラッとくる!
内部は例によって博物館になっており、EVもあるから、デブの見学も楽ちんです。
武蔵VS小次郎ネタを擦っておりましたね。
お城の脇には、やはり、細川忠興によって創建されたという八坂神社。
無法松があばれ打った小倉祇園太鼓や、祇園祭のメイン会場になるようです。
こちらにもお城と同様にエグいコンクリ建築の納骨堂がおっ立つ違和感。神社としての風情には欠ける場所だったんだよな。
小倉城に隣接する「リバーウォーク北九州」は、重工業の低迷を見据え、小倉の未来の形を模索した「北九州市ルネッサンス構想」のランドマークです。
シネコンや劇場なども入る商業施設の他、例によって一等地にふんぞり返るNHK様や、ご当地企業ゼンリンのミュージアムも入居している様子。
ちなみに、市役所の展望室は、とにかく窓が汚ぇな!
これもさ、よりによって、ダッセェ城のすぐ隣に建てなくってもいいのにって思うのよ。
歴史ロマンな環境は、もはや一片の欠片もなく吹き飛ばされてしまうのです。
工業都市であった北九州は長らく公害に悩まされてきた地でありました。
自治体の歴史は公害との戦いの歴史でもあったようで、この点については立派な成果を上げています。
工場や住宅からの排水でドロドロだった紫川の水質改善や景観整備も大きなのテーマになっており、お城の対岸には、現在の川の断面を見せる市営のミニ水族館も開放され、戻ってきた小魚などを確認できました。
たださ、お城の入口であり、北九州市役所のお膝元であるこの場所に「コメダ珈琲」の看板をギラリ輝かす都市デザインはどうなのか。
なんだか、景観がガッチャガチャなのよ。
福岡の街でも感じたんだけど、この辺はもしかしたら根本のセンスが異なるのかなとも感じるのです。
商店街巡りは楽しいのだけど、小倉観光というのは、思ってた以上に難易度高いのかも。
もっと、産業遺産系の見学ができれば楽しいのだけど、今も現役で動いてる工場が多いから、それも難しいのか。
そうそう、「TOTO」の本社とでっかい工場がありますよ!
ミュージアムが併設されていたので、ちょこっと覗いてきたんだけど、「TOTO」も「日本ガイシ」も「日本特殊陶業」も「共立マテリアル」も「ノリタ」ケも「大倉陶園」も、みんな同じ森村財閥の会社だったんだね。知らなかった。
上下水道も整備されてない時代だったので、当初は西洋式の衛生陶器がぜんぜん売れず、ひたすら食器を作って糊口をしのいだ的なことが書いてありましたわ。
市街地には歓楽街も広範囲に広がっており、しっぽりと賑わっている様子。
海鮮等もそりゃあ美味しいんだろうけど、今回は全く口にできませんでしたね。
あと、幸いなことに、怖い系の人も見かけませんでした。
お目当てのご当地食は、ひたすら麺をすすることになりましたよ。
意外なことに、甘いもの文化は目立たなくて、その分を麺などの炭水化物に全振りしたような内容だったんだよな。
屋台由来の鉄板ものや、各種汁そばなど、労働者の胃袋を支えたパワフルな品がたくさんあったから、一通りを味見してみたかったんだけど、いやいや、短い旅ではとても追いきれないボリュームです。
北九州の食は奥深いなぁ。
今回は近隣エリアのレポも含め5週分程度にまとめる予定です。お楽しみに!
コメント一覧
小倉で甘いものって言うと(パン屋だけど)シロヤさんが思い浮かびます
今回の道中記で登場するか楽しみにしたいと思います
>習志野ゴンザレスさん
お楽しみに。
ただ、あんまり小倉にいなかったので、色々な種類を食べてみることはできなかったわ。