2023年8月までの記事を =懐古編= https://taputapu.info/archive に移設しました。
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【太る旅】紅く染まった広島

今回のオジサン孤狼旅は、超久々の広島です!

ほんとはね、陽気の良い5月に行こうと飛行機を予約してたのよ。でも、いざ宿を手配する段になったら、どこも全っ然、さっぱり、空いてなくってさ。

G7広島サミットだったんですね。

関係者により主要な宿泊場所は、ほぼほぼ押さえられていたらしくて、モニターの前で涙をにじませながら岸田くんに譲った経緯がありました。私も外交の成功に多大な寄与したな。

んで、翌月に出直してみたら、ほとんど雨天という…… 

まぁ、梅雨だからしょうがないのだけど、広島の街自体も、大仕事を終えて、諸々弛緩したダルダル状態でしたわ。

ヒロシマは平時から海外からの旅行者も多いようで、空港からリムジンバスも本数豊富に便が設定されております。広島駅や中心部のバスセンターへは1時間弱の所要時間です。

私の旅は、もっぱら徒歩や公共交通での気さくな飲食店巡りが主となるため、やはり県庁所在地クラスの都市が目的地としてしっくりきますな。

加えて、お城や庭園があって、老舗の菓子屋や商店街が充実しているともう最高よ。

ご当地広島は、そういった条件を十分にクリアした街。

中国地方の首都として、恥ずかしげなきZoomZoomな大都会の風景ですよ。

言うまでもなく、人類史上初めて原子爆弾が投下された街として、世界中に知られております。

そのため、広島観光というと、原爆ドームや平和記念資料館への訪問が避けられず、休暇をエンジョイする気分は初手から打ち砕かれることになる罠。

やっぱさ、黒焦げの弁当箱を見た後に、のんきにお好み焼きを食う気にゃなれないもん!

ですから、今回はあえて外で拝むのみに止め、ピースツーリズム以外の広島の街を覗いてきました。

まずは、なんといっても路面電車ですね!

そう、西部警察でもみじ饅頭とともに爆破されたアレです。

のどかな岡電もすごく良かったのだけど、広島のそれは、よりガチな輸送手段として、市民の生活に欠かせないものになっているようで、車内も混雑していますし、やや忙しない印象ですね。

時刻表もあるんだかないんだか、ホーム柵どころか、デブの腹をかすめるように走っていく様もスリリングですし、主要な道路や交差点の上に電線が走っている様は、独特の前時代感を醸しております。

そして繁華街がスゲェな。

広島市のメインストリートである相生通りには、地元資本の百貨店「福屋」を筆頭に「そごう」「三越」と百貨店が3つも並んでいるし、その他、天満屋跡の「ヤマダ電機」「PARCO」「ドンキホーテ」 さらにはツインビルを構える「エディオン」の本店まで勢ぞろい。

その裏手には、大手の出店が多いアーケード商店街や飲食店がびっしり。

さらには流川や薬研堀といった歓楽街の規模もハンパなくてさ。

慰霊や平和への祈りといった穏やかなイメージとは異なる、ダイナミックな欲望や消費の活力を感じさせる広島中心市街なのです。

ここらをぶらり散策するだけでも、十分楽しいよ。

とはいっても、旧市街はややくたびれが見えており、本来ならば平成のどこかで更新をしていくべきだったのが、力足りずに先延ばしになっちゃってる感もありますね。

その代わりに、目下、積極開発されているのが、タワマンそびえる広島駅周辺エリア。

かなり立派な駅ビルも建てているようなので、完成後は商業のあり方もだいぶ変わってくるんじゃないかな?

お堀端の広島市中央公園でも、巨大なサッカースタジアムも建設中でした。

これはサンフレッチェの本拠地になるのかな。

都市の機能はコンパクトな範囲にまとまっております。

一応、お城もあるんですよ。

鯉城こと広島城は、毛利輝元によって、太田川河口の三角州に築かれた平城。関ケ原以降は福島正則が城主となり、その後は安芸国広島藩、浅野長晟へと受け継がれていきます。

天守は古いものが現存していたようですが、やはり原爆によって丸々倒壊。現在のものは1958年にコンクリ再建されました。

広島の中心部は広島城の城下町として形成されました。

本来ならば、歴史あるお城の存在は街のシンボルであり、市民の心の拠り所でもあるのですが、ご当地においてはやや様相が異なるというか、あんまり大事にされてない印象なのよね。

公共施設は学校はともかく、お堀端に団地を建てちゃってるもんな。

内部は例によって博物館になっているのだけど、まぁボロボロだし、展示内容もしょぼい。そろそろ建て替えを議論すべきタイミングなのに、ずっと後回しになっている様子なのよ。

ピースを希求するあまり、古の軍事拠点にすら、我慢ならんという層が存在するんじゃねーかな?

各都市で一等地を貪るNHKもお堀端でなく、平和記念公園のお隣にあるしね。現代の広島においては、原爆ドームこそがお城なんだろうな。

初代藩主、浅野長晟が作らせた大名庭園である「縮景園」も、戦後に再建されたものらしいのですが、なんだかビミョーに間の抜けたお庭なんだよ。

タワマンを借景するのも味気ないし、県立美術館や学校にも敷地を食われて、没入感に欠ける環境です。

やはり名所や観光スポットとして、力を入れて管理している感じが漂いません。

この街には原爆以前の歴史や旧来の文化に対し、抑制的なスタンスがあるのかもな。

そもそも、観光案内所にそれらしきパンフレットがなんも置いてないんだから奇っ怪な街ですよ。

原爆ドームに隣接したビルは「おりづるタワー」として近代改修されました。

修学旅行生や外国人旅行者相手に、たかだか13階の展望フロアに登るだけで2200円、ビルの壁面に折り鶴を投げこむのにもさらに金をむしるという、運営社マツダの正気を疑うピース商法が炸裂。

旧広島市民球場の跡地は「シミント」という、クセェ名前の掘っ建て商業施設&広場になって、とりあえずの場繋ぎです。

戦後の焼け野原から再起した街なので、緑も豊富だし、機能的にきれいに整備されています。

ただ、一般的な商業都市と比べると、説教臭く垢抜けない雰囲気も感じるのです。

そりゃ、市民が平和や核廃絶を誓うこと自体は尊いよ。

ただ、リアルタイムで多くの人が殺されているロシア・ウクライナ戦争をそっちのけで、ヒロシマが、被爆者が、という主張をしてみても、すっかりズレてしまっている感は否めないのよね。

もちろん、それはそれとしての、現実的で下世話な生活感も息づいており、その二面性が、ご当地観光の面白さであり、限界なのかなと感じるところです。

街中には外国人観光客、こと家族連れの姿が多いですね。

原爆ドームや資料館の付近で、ずーんとダウナーになっている姿をよく見かけました。

米国人ではなくとも、あんまり楽しい場所ではないはずなのだけど、それぞれに想いを懐いて、当地を訪れ、子どもたちにつなげていっている様は偉いよな。

毎年大きな式典もありますし、それなりのホテルも多く営業している街です。

受け入れキャパは十分にあるけれど、ぶっちゃけ、ここだけじゃ楽しめないので、宮島立ち寄りが必須というのが、広島観光の現実かもね。

そして、やはりカープ。やはり市民球団。

今日び大阪でも阪神キャップのオッサンは少なくなっている中、広島ではバキバキの高濃度でしたわ。

いっつも飲んでるのか、顔まで紅いという。

広島の大衆食といえば、お好み焼き!

広島焼と呼んだら怒られる的なネタ演出も功を奏して、今や第一級の存在感がありますよね。

その他、牡蠣、穴子、もみじ饅頭、レモン等、キャラ立ちしている食材や料理の多い街ですが、そのイメージに隠れつつ、大都市に相応する大衆食文化が息づいているのが、真に面白いところかもしれません。

おいしそうなものが多すぎて、多く宿題を残しましたが、レポに乞う期待。

今回は宮島編、呉編をあわせ、全5週分となる予定で~す。

書くのがしんどいな!!

コメント一覧

  1. 青る より:

    わあ、ホルモン天ぷらが出てくるかしらん。わくわく。

  2. 匿名 より:

    広島城周辺は原爆スラムがあったりして、70年代まで開発が遅れていた場所でして、城自体も何度も木造復元や耐震不安による建替の議論が89年からあまり進んでいなかったんですよ。
    ただ、2026年を目処に新たに開発が進むことが決まりました。天守閣は老朽化と耐震不安の問題があるので2025年に閉鎖し、三の丸に博物館や商業施設、バスセンターなどを新たに作るようです。
    いつも拝見するだけなのですが、故郷のことなのでつい口を出してしまいました、すみません。

    広島城三の丸 整備事業、お城の周り華やぐ未来予想図! 2026年の完成目指し
    広島城三の丸整備事業について、広島市は事業者を決定。茶道上田宗箇流が監修したカフェや体験型アトラクション、マルシェやキッチンカーなども登場する多目的広場などの計画案も発表されました。
    • >匿名さん
      天守閉鎖も寂しいし。博物館はともかく、バスセンターはなぁ。
      路面電車に接続せず、今よりも不便になるし、なによりお堀の風情をぶち壊す気がするんだけどな。
      球場跡や県庁前広場に仮設するわけにはいかんのか。

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