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【食べ旅・鹿児島編】 仙厳園と島津の殿様 

鎌倉時代から700年間にわたり、南九州の支配者だった島津氏。

秀吉に抗い、家康に抗い、どちらにも勝つことは出来なかったのに、大国を安堵された狂一族です。

近代では、明治維新に果たして役割もすごく大きいですよね。

城山の麓にある「照国神社」は、藩の近代化を推進した名君、島津斉彬を祀った神社。

天文館の繁華街から、朝の散歩にちょうどいい場所。

翼を広げる鶴の形に整えられた立派なイヌマキの木が出迎えてくれますよ。

境内には島津斉彬、久光、忠義の巨大な銅像。

鹿児島市民の狂気的な銅像愛については、また次回にふれましょうかね。

薩摩藩の居城であった鹿児島城は、西南戦争などで焼けてしまって、現在は堀や石垣を残すのみ。

城の正門であった御楼門が2020年に復元されました。

石垣には西南戦争の弾痕が生々しく残っておりますよ。

んもう!同郷なんだから、仲良くしてくれよな!

やはり戦火の影響なのか、江戸時代の面影は意外に少ない鹿児島市ですが、2代藩主光久の築いた別邸「仙厳園」が郊外に残っております。

市内有数の観光スポットなのですが、主要施設をちんたら回る「カゴシマシティビュー」というバスを終点まで乗らないとたどり着けないので、けっこうしんどいな。

ただ、現在は眼前にJRの新駅が設置されたので、徒歩観光のアクセスはかなり向上したんじゃなかろうか。つか、なんで今まで駅が無かったのかが不思議なくらいですよ。

園に入ると、近代的な社屋?結婚式場?や、古っぽく偽装したギラギラお土産横丁があらわれるので、渋い雰囲気はぶち壊し。

でも、しょうがない。

施設の運営は「島津興業」 すなわち殿様自ら自分ちに手を入れているだけなんだから、見学させてもらっている下々が不平なぞ言えるはずもないのです。

本来の姿は剛毅質朴な気風を体現する武辺の館なんだろうな。

御殿に入ってみましょう。

最後の藩主、忠義の嫡男で後の公爵となる忠重が幼少を過ごした部屋。

枯山水を取り入れた中庭。

池の底の八角形は中華の影響だそうですよ。

幕末には海外の賓客を招く迎賓館としても機能したようですね。

裏手には立派な曲水の庭。

冬って季節の影響もあるんだろうけど、わりとゴツめに作られた力強い印象のお庭でした。

ちょっと登ってみると、錦江湾を借景する良き眺め。

もちろん桜島もドーンと拝めますよ。

鉄っちゃん的には目前に日豊本線が走るのも注目ポイント。

庭園風情的にはビミョーなのですが、産業遺産的な土地でもあるから、意外に違和感はないのかもね。

「仙厳園」のお隣には「尚古集成館」

西洋人の手を借りず、薩摩の石工たちが組み上げた国内に現存する最古の洋風工場建築物です。

集成館とは、島津斉彬の指揮で建造された日本初の洋式近代工場群のことで、反射炉、溶鉱炉、ガラス工場、日本初の洋式紡績工場などが整備されました。

惜しいことに、それらは薩英戦争でほぼ燃えてしまったらしく、現在、島津家の博物館になっているこちらは、戦後の第二期集成館事業で整備された機械工場の跡なんだって。

施設はリニューアルされて間もなきようで、ジョン・ウィックが死闘を繰り広げそうなカッコイイ展示空間になっております。

とにかく、島津様スゲーってな展示内容で、もちろんのこと運営は「島津興業」

しかし、力強き殖産興業の影に、黒糖搾取やら、大陸との密貿易やら、贋金大量鋳造やら、シャレにならんこともドバドバやらかしていたようなので、ドン引いちゃう面もありますよ!

周辺には御雇外国人の宿舎であった「旧鹿児島紡績所技師館」と「旧島津家芹ヶ野金山鉱業事業所」に入るスタバ。薩摩切子の工芸館なんかもありますが、狭い道に車がビュンビュン走ってますし、散策はしづらいかも。

洋館などは横浜にも残っていたりはするんだけど、貿易や商業の街とはちょい雰囲気が違うよな。

ときの殿様が自分ちのすぐ脇に工場をおっ建てて、自ら繁く通って産業を育成したのがまず偉いなって思うのです。

エゲレスともバンバンに砲火を交わした後に、「おまん、やいおんなあ」とガッチリ手を組む男臭さも薩摩らしいというか、なんというか。

磯海岸からの桜島で中編終わり。

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